ロンドン市内を歩いていると、特定の場所で独特なドラゴンの彫像に出会うことがあります。
先日「Temple Bar Memorial(テンプル・バー・メモリアル)」のドラゴンの前を通り、テンプル教会を訪れました。教会を出て、Middle Temple Laneを下ってテムズ川方面へ歩くと「Victoria Embankment(ビクトリア・エンバンクメント)」にある2体のドラゴンが見えてきます。
これらのドラゴンは街を歩いていると何気なく目にする存在ですが、歴史的には重要な意味を持っており、ガイドブックにもたびたび登場します。
これらは、ロンドン中心部にある独立自治体「シティ・オブ・ロンドン(the City of London)」の領域を示すために配置されています。現代の行政区分とは異なり、この区域はローマ時代の「ロンディニウム(Londinium)」の範囲にほぼ一致しているそうです。中世から近代にかけて金融・商業の中心として栄え、独自の制度と歴史を今に伝えています。
これらのドラゴン像は、銀色の地に赤い翼と舌で彩色され、盾にはシティ・オブ・ロンドンの紋章(赤十字と赤い剣)が描かれています。グリフィンと間違えられることもありますが、正しくはドラゴンです。その起源は、サクソンの白竜伝説、ローマ帝国の軍旗の竜紋、聖ジョージの十字伝説、チューダー朝の赤竜などが由来として推測されています。
かつてロンドン市の紋章(Arms of the City of London)には獅子が描かれていたという記録もあるそうですが、1609年には2頭のドラゴンに置き換えられ、現在ではこのドラゴンがシティの守護獣として認識されているそうです。
このようなドラゴン像は、ロンドン市内の10か所に計13体設置されています。(「テンプル・バー・メモリアル(Temple Bar Memorial)」のものを含めると11か所14体)
ふと記念に、他のドラゴンもカメラに収めてみようと思いました。途中でバンクシーの壁画も収めました。
シティ・オブ・ロンドンのドラゴンたち
私がたどった順に記していますが、最初に写真に収めた「テンプル・バー・メモリアル(Temple Bar Memorial)」は最後です。
ビクトリア・エンバンクメント(Victoria Embankment):2体
1849年にロンドン・コール・エクスチェンジ(London Coal Exchange)入口に設置された2体のドラゴンは、建物解体(1962年)にともない、1963年にビクトリア・エンバンクメント(Victoria Embankment)沿いに移設されました。
その後、同じデザインの半分サイズのレプリカがシティの他の場所にも複数設置されています。

ハイ・ホールボーン(High Holborn):2体

チャンセリー・レーン駅(Chancery Lane)の近くにあり、目の前にはステープル・イン(Staple Inn)のチューダー様式の見事な建物があります。1880年創業の英国高級靴ブランド、ローク(Loake)も入っています。ロークは英国王室御用達(Royal Warrant)を取得しています。

ファリングドン・ストリート(Farringdon Street):1体
Faringdon Streetの交差点、雨に濡れるドラゴン。

従来のファリンドン駅と、その向かいにできた「エリザベス線(Elizabeth line)」のファリンドン駅。

ファリンドン駅に入口が2つあるのは、歴史的建造物や既存地下構造との干渉を避けるためであることと、それぞれのチケットホールを設けて乗客の流れを分けて混雑を緩和しているそうです。地下では通路で連結されており乗り換えが可能な設計になっています。
ファリンドン駅は1863年1月10日に開業した世界初の地下鉄「メトロポリタン鉄道(Metropolitan Railway)」の初期駅の一つ。この路線は世界初の地下鉄として知られており、蒸気機関車が走っていました。
最初に開業した駅は7つで、ほかに「ビショップス・ロード(Bishop’s Road、現パディントン)」、「エッジウェア・ロード(Edgware Road)」、「ベイカー・ストリート(Baker Street)」、「ポートランド・ロード(Portland Road、現グレート・ポートランド・ストリート)」、「ゴワー・ストリート(Gower Street、現ユーストン・スクエア)」、「キングス・クロス(King’s Cross)」がありました。
ゴズウェル・ロード(Goswell Road):1体
バービカン駅で下車しました。

バンクシー
来た道を戻り、ビーチ・ストリート(Beech Street)へ入り、バンクシーの壁画の場所へ。
その後、ムーアゲート(Moorgate)方面へ向かいます。


ムーアゲート(Moorgate):1体
サウス・プレイス(South Place)との交差点付近。

もともとは少し離れた場所に位置していましたが、クロスレール(Crossrail、エリザベス線の一部)の建設工事に伴い、2012年ごろに一時的に撤去され、2022年に現在の位置に再設置されたとのこと。以前の位置と同様にシティ・オブ・ロンドンの境界を示す役割を果たしています。
ブラックフライアーズ・ブリッジ(Blackfriars Bridge):1体


橋の向こうには「ザ・ブラック・フライアー(The Black Friar)」という名物のパブが。
かつてこの地域に修道院を建てたドミニコ会の修道士たち(friars)のローブが黒かった(Black)ことから、「ブラック・フライアーズ(Black Friars)」という地名になり、このパブはその地名と歴史を反映しています。外観も修道士たちが描かれています。



ロンドン・ブリッジ(London Bridge):2体
おなじみの「ロンドン橋」です。



ビショップスゲート(Bishopsgate):1体
リバプール・ストリート駅の近く。

アルドゲート・ハイ・ストリート(Aldgate High Street):1体
「アルドゲイト(Aldgate)」は「古い門」を意味し、ここはローマ時代にロンドンに開かれた6つの入口の一つだったそうです。1215年には男爵たちがここからロンドンに入りジョン王にマグナ・カルタへの署名を迫り、「カンタベリー物語」を書いたジェフリー・チョーサーは門の上の部屋を借り、メアリー・テューダーは女王として初めてここからロンドンに入城したと伝えられています。


近くにある老舗パブ「フープス・アンド・グレープス(Hoops & Grapes)」。ロンドンで最も歴史のある宿屋の一つで、パブの中でも最も詳細な記録が残っているそうです。1598年の建造当時は「ザ・キャッスル(The Castle)」という名称で、1666年のロンドン大火を生き延び、現在ではシティに残る唯一の木造建築物とされています。
ドアや窓はひん曲がっていますが、1983年に建物が大幅に修復された際に400年の間に歪んだ部分をできるだけ損なわないように工事が行われたのではと想像しています。

バイワード・ストリート(Byward Street):1体
タワー・オブ・ロンドンの近く。このドラゴンは私のリサーチから漏れていて、この辺りを歩いたときに偶然見つけました。絶対に導かれていたはず笑。

テンプル・バー・メモリアル(Temple Bar Memorial):1体
「テンプル・バー・メモリアル(Temple Bar Memorial)」は記念碑であり、シティの境界線とは意味が少し違いますが「ロンドンのドラゴン」ということで一緒に言及されることが多い気がします。



プラットフォーム部分の設計はシティ・オブ・ロンドンの都市計画家ホレス・ジョーンズ(Horace Jones)によるもので、ドラゴン像のデザインはチャールズ・ベル・バーチ(Charles Bell Birch)が制作。
元々この場所にはサー・クリストファー・レン(Sir Christopher Wren)がデザインしたテンプル・バー(Temple Bar Gate)があり、中世からロンドン・シティとウェストミンスターを隔てる主要な出入口の役割を果たしていました。
19世紀後半、フリート・ストリート(Fleet Street)とザ・ストランド(The Strand)間の交通量が急増し、テンプル・バーが道路拡幅の妨げとなったため1878年に移転され、2004年にセント・ポール大聖堂北側のパタノスター・スクウェア(Paternoster Square)に再建されました。
サー・クリストファー・レン(Sir Christopher Wren、1632年–1723年)はロンドン大火後の都市再建を担った英国を代表する建築家であり、ロンドンの52の教会やセント・ポール大聖堂(St Paul’s Cathedral)、グリニッジ天文台、チェルシー王立病院などを設計しました。
おわりに
ロンドンのドラゴン像は、街の歴史や伝統を感じられる面白いスポットだと思います。もし見かけることがあれば、ぜひその由来を思い出してみてください。ロンドン歩きが楽しくなるかもしれません(良い運動になるのことは確実です笑)。