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ハロゲート観光の定番!老舗カフェ「ベティーズ」の歴史と魅力

ハロゲート ベティーズ Harrogate Betty's

ハロゲートのタウンセンターのほぼ中心に位置するベティーズ(Betty’s)は、1919年にスイスからやってきた製菓職人・ショコラティエのフレデリック・ベルモント(Frederick Belmont)によって創業されました。

バルモラル城を模した外観、1920~30年代のアールデコや美しいステンドグラスがシックでエレガントな内装のカフェの前にできた列を見るのは珍しくなく、今でも人気です。

目次

スイスの孤児から英国へ

ベティーズの設立について、YouTubeのベティーズチャンネルに動画があります。
この動画は、戦時のあたりまで(チャプター5まで)で、5年前に投稿されたものが最後のようです。今後続きが出るかどうかは不明ですが、それでも興味深い内容です。

以下は簡単な要約です。
ベルモント氏のチャレンジの人生が勇気を与えてくれます。

1880年代のスイス、フリッツ・ブッツァー(のちのベルモント氏)はパン職人の父を含む家族と暮らしていました。彼がわずか2歳の時に母を結核で、その後父と姉を火事で失いました。妹のイーダは親戚に引き取られましたが、その親戚にはフリッツまで面倒を見る余裕はなく、彼は農民に買われ過酷な生活を送ることになりました。

14歳のフリッツは学校に通う余裕がなくなります。父の職業でもあったパン作りを追求することを決意し訓練を受け始めました。そして18歳でスイスを離れる決断をします。

フランスに渡ったフリッツはパリとマルセイユでパン職人として技術を磨きました。エッフェル塔が建てられたばかりの活気に満ちたパリにはいたるところにカフェがあり、仕事に困ることはありませんでした。
同じような経験を積んだスイスの職人たちは、イギリスの高級ホテルで職を得るために渡英することが多く、フリッツもイギリス行きを夢見るようになりました。

イギリスで「製菓職人・ショコラティエ」に

1907年、パリで成功しお金を貯めたフリッツは英語を話せなかったのにも関わらず、ロンドン行きの列車に乗りました。道中、スイスのカップルと出会い楽しい時間を過ごしながらも、イギリスに到着し2人と別れた後、前の雇用主からの推薦状をなくしてしまっていることに気づきました。
推薦状には彼の職業能力や信頼性を証明する内容、イギリスの職場の住所などが記載されていました。

彼が唯一覚えていたのは、その地名が「ブラートヴルスト」に似ていたことです。
フランス語やドイツ語で手当たり次第に周りに助けを求めましたが、翻訳できるスマホのない時代です。なかなか手応えがありませんでした。やっとフランス語を少し知っていた老人の手助けにより、その地名は「ブラッドフォード」ではないかと教えられたのです。
フリッツは「ブラッドフォード!」と叫びながら、目的の列車に乗り込みました。

そしてブラッドフォードに到着したものの、推薦状もないフリッツは本当にブラッドフォードでよかったのかさえも確信が持てませんでした(実はイギリスの南に行くはずだったという説も)。
しかし、そこでスイスの製菓業者「ボネット・アンド・サンズ(44 Darley St.)」で仕事を得ることができました。手に職がある人は強いですね!

彼は、ヨークシャーの丘陵地帯が故郷を思い出させると感じていました。
第一次世界大戦が勃発してまもなく、フリッツはイギリス市民となりました。フランスの流行に乗り、そしてより自分の職業に合っているからと「フレデリック・ベルモント(Frederick Belmont)」と改名し「ショコラティエ」と称し始めました。

1915年、フレデリックはハロゲートに定住します。彼は素晴らしいスパ・タウンであったハロゲートを非常に気に入りました。ハロゲートで宿を探していると、家主の娘クレア・アップルトンがドアを開けてくれ、彼は一目惚れしました。二人は1916年に結婚しました。

1919年7月17日、フレデリックはハロゲートでカフェ「ベティーズ」をオープン。
最初の店舗は、ケンブリッジ・クレセントの大きなカーブを描くテラスの建物内にありました。この建物は1800年代に建てられたもので、現在でもその美しさを保っています。(1900年代の写真を見ると、現在のロイズ銀行の右側部分で営業していたことがわかります。また、ベティーズのハロゲート記念プラークもロイズ銀行の中央に掲げられています)

カフェはすぐにその品質とサービスで評判を呼びました。王室メンバーがグランドツアーの途中でベティーズに立ち寄ることが多くなり、フレデリックは名刺に「王室および著名な保護下にある」と記載できるようになりました。

1922年には、ハロゲート郊外のスターベックにベーカリーがオープン。その後、ブラッドフォード、リーズ、ヨークにベティーズの支店が開設され、イギリスに着いてすぐのブラッドフォードで雇用されたボネットのチョコレート店も引き継ぎました(ブラッドフォード店とリーズ店は70年代に閉店)。
(リーズ店では最新の完全電化された設備で開店を迎えたものの、夕方にヒューズボックスが故障し、カフェが暗闇に包まれたという逸話があります)

フレデリックは幼少期に酷い扱いを受けた経験から「各従業員一人一人がビジネスの成功に個別に責任を負っている」という信念があり、彼の新しい家族であるとして従業員を大切に扱いました。5台のバスを借りて従業員たちをレイクディストリクトへの日帰り旅行に連れて行ったりしました。

1936年、フレデリックとクレアはクイーン・メリー号の処女航海にファーストクラスで参加します。
クイーン・メリーの美しいアールデコ様式の内装に感銘を受けた彼は、イギリスに戻り、船の内装を手がけた職人を雇って新しいベティーズ・ヨークの内装を担当させるほど、スタイルにもこだわりました。

戦時中には、軍からのベティーズの徴用要求に対し、ベティーズは毎週20,000の食事と飲み物を提供して兵士たちを支えていると主張しベティーズを守り続けました。ヨークのベティーズの地下にあったベティーズ・バーは、駐留していた空軍兵のお気に入りのたまり場で、ティールームの上品な雰囲気とは異なるリラックスしたスペースでした。

1952年、悲しいことにフレデリックがオフィスで亡くなっているところが発見されました。
彼の甥である29歳の「ビクター・ワイルド(Victor Wild)」がマネージング・ディレクターに就任しました。

「C.E. テイラー & Co」を買収

1962年、C.E. テイラー & Co の創業者チャールズ・テイラーが死去しました。これを機にビクターはC.E. テイラー & Coを買収し、「ベティーズ & テイラーズ(Betty’s & Taylors)」が誕生しました。この買収によって、現在知られているビジネスの基礎が築かれたのです。
テイラーズが調達しブレンドした紅茶とコーヒーは、ベティーズの製品群の中で大人気商品となり、合併によってその人気はさらに高まりました。

1976年、ベティーズは現在の所在地である「1 Parliament St.」に移転しました。この場所はかつて「C.E. テイラー & Co」の「カフェ・インペリアル」があった場所でした。つまり、フレデリックは現在のベティーズを見ていないということになりますね・・・。

大きな板ガラスの窓のディスプレイには、べディーズの商品が魅力的に飾られ観光客や市民を惹きつけています。特にイースターやクリスマスのテーマが人気です。

ハロゲート ハロゲイト ベティーズ
ベティーズ商品のハンパーバスケット詰めだったら欲しいです笑! ティーセットも可愛い
ハロゲート ハロゲイト ベティーズ
顔になっているビスケットがたくさんで可愛いです 早くバッグに入れないと湿気ちゃいそう笑
ハロゲート ハロゲイト ベティーズ
パッケージの多くが品があって素敵です 自分用にいくつか欲しい

「ベティー」とは誰のこと?

「ベティ」とは誰なのでしょうか?
実は、その正体は誰もはっきりとは知りません。さまざまな説がありますが、最も有力な説は、19世紀にハロゲートで「ウェル(スパ)の女王(Queen of the Wells)」と呼ばれていた「ロイヤル・ポンプ ルーム(Royal Pump Room、現在は博物館)」のマネージャー、エリザベス(通称ベティ)・ルプトン(Elizabeth Lupton)から来ているというものです。

ベティは、数十年間ハロゲートの象徴とされていました。「ウェルの女王」という名誉ある称号は、ハロゲートの硫黄泉を訪れる客にサービスを提供する複数の「ウェル・ウィメン(Well Women)」の中で、最も高齢と見なされていたことを示しています。
彼女は56年間、長い柄のスプーンとカップで井戸を管理していました。仕事は無償でしたが、訪問客からの寛大なチップで生計を立てていたそうです。さすが高級温泉地です。

ただし、訪問客が硫黄水の効能について疑問の声を上げると、ベティからはかなり鋭い答えが返ってきたそうです。彼女が1843年に引退したとき、その長年の功績が称えられ、特別に年金が与えられました。ポンプルーム博物館では、彼女の長いキャリアで使われていたテーブルと長い柄のスプーンが今でも保存されています。

ベティー・ルプトン,Betty Lupton

おわりに

現在では、ベルモント氏の子孫が会社を所有しており、パンやケーキを自社で焼き、チョコレートやペイストリーを自社で製造し、コーヒーを自社で焙煎し、世界中からお茶を輸入して自社でブレンドしパッケージングしています。

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