ハロゲートのタウンセンターに近づくと、広々とした芝生があちこちに広がっています。
これは「ザ・ストレイ(The Stray)」と呼ばれる公共緑地で、ハロゲート全体で約200エーカーの広さを誇ります。地元の住民からは「ストレイ」と略して親しまれています。
ストレイは一か所にまとまっているわけではなく、いくつかのエリアに分散して街中に点在しているため、タウンセンターが人や車で賑わっていながらも、緑豊かで風通しが良く、リラックスした雰囲気を保っています。これは、多くの大都市が羨む特徴ではないでしょうか。また、その広さや利用のしやすさと歴史から、ロンドンの公園に次ぐ存在といっても大げさではないと思います。
ハロゲートの住民は、このストレイでピクニックや散歩、運動、ジョギング、日光浴などを楽しみ、その豊かさを日々感じています。
私も、スパ・タウンとしての歴史と、このストレイがあるおかげで、ハロゲートはヨークシャーの中で最も好きな街です。
ストレイの始まり
ハロゲートのストレイは過去にハロゲートがスパ・タウンであったことが大きく影響しています。
ハロゲートは、1571年にテウィット・ウェル(Tewit Well)が発見されたことで、スパ・タウンとして大きく発展し始めました。それ以来、町のあちこちで鉱泉水の井戸が見つかり、治療効果があったため、多くの人々が健康目的で訪れるようになりました。その結果、井戸の周囲の土地を保護し公共の利用のために保護することが重要になりました。
1770年、イギリスにおける土地の囲い込み法(エンクロージャー)と1778年のランカスター公領委員会による授与により、ハロゲートはランカスター公領から200エーカーの土地を「公共スペース」として授かりました。この結果、これらの土地は欲深い地主たちに囲い込まれることなく、「すべての部分が公共の立ち入りが保証される」と議会法によって保障され、現在でも有効です。
この法律は、鉱泉の保護と市民や訪問者のための公共スペースの確保を明確にしました。鉱泉が存在する地域は公共のものとして保護されることになり、当時は散歩などの運動が健康に良いと推奨されていたため、ストレイは運動の場としても利用されていました。
これにより、ストレイは神聖なまま保たれ、欲深い開発者による開発の乱用を防ぎ、現在に至るまで豊かで開放的な場所として利用されています。
(ただ、戦後には町の開発が進み、ランカスター公領から土地が買い取られる中、美しい建物が取り壊されたり、無機質な高い建物が建てられてしまったのは少々残念です)
ストレイに関してカウンシル(議会)が守るべきルールは、「ストレイに何の変更も加えず、そのままで維持すること」です。
1778年の最初の裁定から、1789年、1841年、1893年、1985年、1986年の法律などによって何度も修正されたものの、約200エーカーのストレイの「永久に開かれ、囲いのない公共のオープンスペースを住民に提供する」という概念は現在でも続いています。
もし「道路を作る」などの理由でストレイの面積が削られる場合、同面積分の土地をストレイとして割り当てることがルールとなっています。
しかし、過去にはストレイを削減する動きもありました。いつでも「何か違うこと・新しいことをしようとする人」はいるものですね。
1933年、カウンシルがストレイの美化のためにウェストパークの芝生に大きな花壇を作りました。町民は抗議しましたが、カウンシルはそれらの声を無視しました(何様のつもりだったんでしょうか)。
この行動は町民からの猛烈な反発を呼び、大規模な反対運動が起こりました。その結果、「ストレイ防衛協会(The Stray Defense)」が誕生しました。
それでも議会は1934年5月にさらに5,000平方ヤードを撤去するという暴挙に出ました(わかってないですね!)。しかし、ストレイ防衛協会が議席を勝ち取り、関与した職員が追放されました。
そしてストレイは1934年11月以降に復元されました。このように町民の声が反映されたことは素晴らしいことですね。
その結果、現在でもストレイは広く開放された緑地として、多くの人々が散歩やピクニック、レクリエーション活動を楽しむ場として利用されています。
過去と現在のストレイの利用
1860年代にはストレイで放牧が行われていました。ストレイの牧草地を管理するために、ストレイ法によって架空の「ゲート」が設けられました。これにより、「ゲート」内の所有者はストレイで規定数の動物を放牧する権利を与えられました。1885年頃のモンペリエ・ストレイで放牧されている牛の写真が存在しており、ハロゲートのランドマークの1つであるベティーズカフェ(Betty’s)の近くでは、その昔、牛が草を食んでいたのです。
ストレイは1700年代には競馬場だった時期もあり、また、1887年のビクトリア女王即位70周年記念には大規模なバーベキューが開催されたり、戦争中には敵機が着陸するのを防ぐために塹壕が掘られたりするなど、住民のために大活躍してきました。
そして21世紀の2月頃には春の訪れを告げるクロッカスがザ・ストレイのあちこちで咲き始めます。年々球根の数が増えているでしょうから、カラフルなクロッカスのカーペットが毎年大きくなっているのを確認できます。
3月には水仙(大小)の鮮やかな黄色が美しいです。さらには、Leeds Road側のストレイでは4月から5月にかけて美しい桜の並木を楽しむことができます。気候により桜の開花時期は異なりますが、桜の根元の水仙と開花の時期が重なると、美しい自然の色のグラデーションを堪能できます。満開の時の桜のトンネルの下を歩くのは至福の時です。(ハロゲート駅からは南方面(Waitrose方面)へ向かうストレイです)
また、線路ぞいにはウサギの巣がいくつかあり、イースターの時期には子ウサギがたくさん走り回っているのが見えてとてもかわいいです。まさにイースターバニーの状態です。
11月のガイフォークス・ディでは、大きなボンファイヤーや花火がディスプレイされます。花火は15分程度と短いもので、日本の尺玉に比べたら規模こそ小さいもののイギリス人の歓声がイベントを盛り上げてくれます。打ち上げる場所と観覧する場所が近いせいか火の粉や燃えカスが飛んでくる可能性もありますのでご注意を笑。
さらに、子供たちのサッカーの試合が行われたり、ファンフェア(小規模の移動型の遊園地)が開催されることもあります。
毎週土曜日の朝9時からは「パークラン」という無料のランニング(ジョギング)イベントも行われています。
スリングスビー・ウォーク(Slingsby Walk)
ストレイ内にはいくつかの歩道があり、それぞれに名前がつけられています。桜並木からウェザビー・ロードへと続く長い歩道は「スリングスビー・ウォーク(Slingsby Walk)」、線路に架かる橋は「スリングスビー・ブリッジ(Slingsby Bridge)」と呼ばれています。これらの名前は、おそらく1571年にハロゲートで鉱泉を発見したウィリアム・スリングスビー(William Slingsby)に由来していると思われます。
1571年、ウィリアム・スリングスビーがテウィット・ウェル(Tewit Well)を発見し、これがハロゲートがスパタウンとして発展するきっかけとなりました。ティモシー・ブライト博士(1551-1615)は、この井戸を「イングリッシュ・スパ(the English Spaw)」と呼び、イギリス最古のスパであるとされました。
桜並木を歩いていると、ドーム型の建物に行き当たります。一見、ベンチかバンドスタンドに見えますが、これが「テウィット・ウェル」と呼ばれる鉱泉の井戸です。発見からちょうど400年後の1971年に閉鎖されました。
このドーム型の建築物は、かつてロー・ハロゲートの「オールド・サルファー・ウェル(Old Sulphur Well)」を覆っていました。オールド・サルファー・ウェルは、ヨーロッパでも特に強い硫黄含有量で有名で、ハロゲートの中でも朝に鉱泉水を飲みに訪れる人々で賑わう重要な井戸でした。薬効のある鉱泉水は公共の利用が保証されていたため、このように誰でも使えるようにドーム型の覆いがされていましたが、オープンエアのため破壊行為が頻発したため、後に建物で覆われ「ロイヤル・ポンプ・ルーム(Royal Pump Room)」になりました。その際、元のドーム型の覆いがテウィット・ウェルに移設されたのです。
ウィリアム・スリングスビーの功績を考えると「スリングスビー・ウォーク」が彼にちなんで名づけられたと考えるのは自然だと思います。
おわりに
ザ・ストレイを保護している団体「The Stray Defence」は、
「We have not inherited The Stray from our parents; we have borrowed it from our children.
(我々は、この「ザ・ストレイ」を私たちの祖先から譲り受けたのではない。私たちの子供たちから借りているだけだ)」
というモットーを掲げています。素晴らしいですね!
いつまでもストレイの神聖さが侵害されないままで、住民に元気を与え続けてくれることを願いたいです。