アガサ・クリスティは、20世紀を代表する推理作家の一人であり、多くのベストセラー作品を生み出しました。1926年に起こった彼女の謎の失踪事件は、その作品さながらのミステリーで、今でもファンや研究者たちの間で議論の的となっています。
失踪から10日後、彼女は約190マイル(約305キロメートル)離れた北ヨークシャーのハロゲートで無事発見されましたが、その状況はあまりにも奇妙で、アガサ自身も説明できない(もしくは意図的にしなかった)ままでした。
そして、2026年にはこの出来事からちょうど100年を迎えます。
あまりにも有名な出来事なのでさまざまな考察がなされていますが、ハロゲートにゆかりがあるということで私も調べてみました。
アガサ・クリスティの失踪事件の背景
1926年12月3日金曜日の夕方、アガサ・クリスティは突然行方不明になりました。
翌朝、彼女の車がサリー州ニューランズコーナーの斜面にある生け垣に突っ込んでいるのが発見されました。車内には期限切れの運転免許証やコートが残されていましたが、クリスティ自身の姿は見当たりませんでした。
12月6日のローカル新聞では、「彼女の車はギルフォード近郊の採石場の端に放置されていた。前輪は実際に端からはみ出しており、生い茂った生け垣のおかげで穴に落ちずに済んだ。暴走した様子が明らかだった」と報じられています。
この失踪事件は瞬く間に大きなニュースとなり、多くの警察官や一般市民が捜索に加わりました。ローカル新聞によると、数千人がクリスティの捜索に参加し、サリー、サセックス、ケント、バークシャーの警察が捜査にあたりました。また、クリスティの飼っていたフォックス・テリア犬も捜索に加わりました。この捜索は当時国内で行われた中でも最大規模のもので、アルバリー・ミル池とポストフォード池の水や泥を取り除く作業や、初の飛行機の動員も行われました。
シャーロック・ホームズの作者であるサー・アーサー・コナン・ドイルやドロシー・L・セイヤーズも捜索に関与しました。アーサー・コナン・ドイルはクリスティの手袋を霊媒師に預けて、行方を探ろうとしましたが、特別な情報は得られませんでした。また、クリスティの車が発見された場所の近くでは、偽のメッセージが発見されることもありました。
当時36歳のクリスティは、すでに数冊の探偵小説を出版しており、6作目の小説『アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd)』は批評家から高く評価され、国内でも大きな話題となっていました。この失踪事件は世界中で報じられ、人の集まる場所ではどこでも(特に女性たちの間)、何が起こったのか、クリスティが生存しているのかどうかについて様々な説が飛び交いました。
アガサ・クリスティーが残した手紙
クリスティが失踪してから1週間後、彼女が3通の手紙を残していたことが明らかになりました。1通は秘書宛、1通は義理の弟宛、そして3通目は夫宛でしたが、夫はその内容を明かすことを拒否しました。
「今回の事件はすべてクリスティの宣伝活動だ」という声が上がる中、秘書はその説を怒りながら否定しました。
義理の弟への手紙には「体調が悪いため、ヨークのスパに向かう」と記されていました。
これを受けて、警察は3日間の捜索を打ち切りましたが、それでも自動車運転手やアマチュア探偵に協力を求め、クリスティの執筆中の作品を調べるなどして手がかりを探しました。また、彼女が「変装して、おそらく男装して」ロンドンにいる可能性も検討されました。
さらに、彼女が「遺体が発見された場合のみ開封される封筒」を残していたという謎めいた噂も広がり始めました。
ハロゲートで発見されたアガサ・クリスティー
北ヨークシャー州にあるハロゲートは16世紀からの人気の温泉地で、チャールズ・ディケンズからロシア王室まで、このヴィクトリア朝の街を保養地として訪れていました。訪れる人々は皆、優雅な時間を楽しんでいました。
アガサ・クリスティは、ハロゲートのスワン・ハイドロパシック・ホテル(現在のオールド・スワン・ホテル(The Old Swan Hotel)))に「テレサ・ニール夫人」という偽名で宿泊していました。この名前は、彼女の夫アーチー・クリスティの愛人、ナンシー・ニールの姓から取ったものでした。
クリスティはハロゲートで静かに過ごしながら、休養と娯楽を楽しんでいたようです。彼女は社交界にも自然に溶け込み、宿泊客と交流したり、ダンスや舞踏会、パームコートでの娯楽などに参加したりしていました。また、温泉を楽しみ、買い物に出かけて新しい帽子やコート、イブニングシューズ、本、雑誌などを購入し、自分の「失踪」が新聞で報じられているのを面白がって読んでいたと言われています。
彼女はホテルのスタッフや他の宿泊客に対して特に目立った行動を取ることなく、普通の宿泊客として過ごしていたため、誰も彼女が行方不明の作家であるとは気づきませんでした。
彼女の正体が明らかになったのは、失踪から10日後のことでした。ホテルのバンジョー奏者が彼女を認識し、警察に通報したのです。
当時はテレビやインターネット、CCTVもない時代であり、行方不明者を見つけるには時間がかかったに違いありません。クレジットカードやATMの使用履歴もなく、現金での生活だったでしょうから。
失踪の原因は?
失踪の前日、クリスティと夫の間には激しい口論があったといいます。
アーチー・クリスティ大佐は、ナンシー・ニールという女性と浮気をしており、クリスティの失踪の2週間前には離婚の意向を彼女に伝えていたとのこと。
アーチーは公には、妻が神経衰弱を患い、失踪前に精神的に不安定だったと説明しました。また、彼女が過労による神経衰弱から回復するために、その年の初めにフランスへ渡航していたことも明らかにしています。
当初、アーチーはクリスティが使った「ニール夫人」という偽名について「知らない」と言っていました。しかし、メディアや人々の関心は「クリスティの失踪に誰が関与していたか?」に集中しており、彼の浮気相手が「ナンシー・ニール」であることが明るみに出るのは時間の問題でした。
アーチーは妻への愛情を強調しながらも、最終的にナンシー・ニールとの関係を認めることになりました。この状況から、多くの人々がアーチーを非難したことは容易に想像できます。
「完全な記憶喪失」に・・・
発見されたクリスティは、自分が失踪していたことを全く覚えていないと主張しました。2人の医師は彼女を記憶喪失と診断し、アーチーは記者団に対し「彼女は自分が誰なのか分からない。完全な記憶喪失に苦しんでいる」と語りました。
この失踪事件は、その後も多くの議論を呼びました。例えば、以下のような説が提唱されました:
- クリスティのうつ病、母親の最近の死、夫の不貞が原因で神経衰弱を起こした
- ストレスから記憶喪失を起こした
- 夫の浮気に対する絶望や精神的なプレッシャーから逃れるために意図的に失踪した
- 自身の作品の宣伝のため
- 夫の浮気に復讐するため
- 夫がクリスティを殺人犯に陥れるため
アガサ・クリスティは推理作家ですから、どの説もあり得るように思ってしまいます。
また、彼女は1976年に亡くなるまで、失踪の経緯について一切語らず、近しい友人にも詳細を明かさなかったと言われています。
クリスティはアタッシュケースだけを持ってウォータールー駅でハロゲートの広告を見かけ、列車に乗ったと考えられています。
おそらく以下のような広告が駅に掲示されていたのではと想像します。
今見てもとてもおしゃれですよね。
その後
夫はすぐにアガサを迎えに来ましたが、クリスティは「冷たい視線で彼を迎えた」と言われています。
そしてロンドンに到着すると、何百人もの人々がキングス・クロス駅に集まり、クリスティを一目見ようと集まっていました。
彼女は家に戻ってから完全に回復し、作家としての活動を再開しました。
事件から数年後、クリスティは自伝『An Autobiography』でこの出来事についてわずかに触れただけで、詳細は語りませんでした。また、1928年にデイリーメール紙で受けたインタビューでも同様でした。
2年後、クリスティとアーチーは離婚、アーチーは浮気相手のナンシー・ニールと再婚しました。
クリスティも考古学者と再婚しました(が、再婚相手も晩年にいろいろと浮気をしたそうです・・・)。
おわりに
90年以上が経った今でも、このエピソードは伝記作家や歴史家たちを魅了し続けています。
1977年にはキャスリーン・タイナンがこのエピソードを題材に小説『アガサ』を出版し、さらにヴァネッサ・レッドグレーヴとダスティン・ホフマンをキャストに迎えて映画化もされました。